経済の制度は一からやり直した方がよい

 新自由主義とか新古典経済学とかいろいろ言っているようだが、これは資本主義の先祖返りをしているだけだ。先祖返りのついでに、グローバル化と金融の拡大を徹底し、その威力を拡大している。

 資本主義はその拡大の最初において植民地主義と一体となっていた。国内では資本主義的搾取、国外では植民地的搾取を使い分け、アラブやアジアに比べ相対的に貧しいヨーロッパを富ませてきた。

 マルクスなどが資本主義の矛盾を指摘し、少し予定と違ったソビエト体制が出来、資本主義も変質した。修正資本主義だ。資本主義における高福祉社会は資本主義においては矛盾そのものだ。資本主義ではあり得ない、すなわち妥協の産物だ。

 ソビエト体制が崩壊してしまえば、資本主義は矛盾も妥協もしない。先祖返りをするのみだ。
 植民地は第2次世界大戦後独立した。ソビエト体制があれば2大陣営の引き合いの中でやっていく方法もあった。今や新植民地主義の中だ。
 国に対する借金漬けも可、反対派への武器と金の供与も可、気に入らない政府に対する経済制裁も可、その毛か世界的企業が莫大な利益を上げることが出来ることとなっている。
 
 一方、日本はアジアの多くの国がそうであったように、貨幣経済を何百年も続けてきた。そしてその中で資本主義の初期の段階にいた。産業を巨大化しただけで、その社会の仕組みは基本的に変わってこなかった。戦後の経済成長の中でも、企業のあり方は欧米の企業のあり方とかなり違っていた。
 企業は株主だけのものではない、社員のためのものであったり消費者のためのものであったりもした。それが決定的に崩れたのはバブル崩壊後か?そしてそれもソビエト体制崩壊後だ。これは偶然の一致か?そしてバブルとバブル崩壊は必然的に起こったことかそれとも誰かが起こしたことか?
 いずれにしても日本企業はその性格を大きく変えた。

 この一年ほどの間に、サブプライム問題発生、石油価格上昇、穀物価格上昇と大変動だ。そのどれもが投機マネーのせいだと言われている。これがグローバル化した金融工学の世界だ。これが今の資本主義だ。
 資本主義はみんなが競争し競い合い、多くの富を自ら生産することにより豊かな生活を目指すもののはずだ。それが実現されているか?その兆候すらないではないか。

 こんな資本主義に仲間入りしている必要が何処にあるのだろうか?
 漁師たちがストライキをしている。魚の値段は漁師には決められないのか?漁獲量が減れば当然値段が上がるはずだが、最近の情勢では海外産の魚に移るだけではないのだろうか?それが怖くて今の事態になっているのか?そのあたりはマスコミも伝えない。
 今の経済も政治もこの状況を解決するすべを持たないのか?


 ここで一つの提案がある。テレビの番組の受け売りだ。

 貨幣経済を止めてしまって、物々交換にいったん戻ろう。経済の制度は一からやり直した方がよい。

 私は以前、鎖国をしようと言ったが、物々交換はさらに原点に戻れと言うことだ。それほど今人類がやっていることは変なのだろう。

この記事へのコメント

カタカナサヨク
2008年07月17日 15:01
かなり過激な提案ながら、趣旨には
賛同します。
「カネを崇拝するものは、カネによって
滅ぶ」ですが、それにしても、グローバル
スタンダード=一握りの金持ちとその他
大勢の貧しい人たちを作り出す、ことで
あることに、社会主義=絶対悪という、
短絡的発想を見直さなければならないと
思います。
2008年07月18日 23:45
カタカナサヨク さん
ご賛同有り難うございます。
グローバルスタンダードが危険であることはその通りだと思いますが、社会主義=絶対悪は別の議論をしなければならないのではないですか?
カタカナサヨク
2008年07月25日 11:43
あまりに乱暴な論理だったかと思います。浅墓さを自慢してしまい、申し訳ありません。
それを認めたうえで書くのなら、資本主義そのものも、今の世界的な経済・食糧・資源・貧困・格差・環境状況を総合的に考えるなら、「資本主義の弊害と社会主義の幻想」なのか、
「社会主義の弊害と資本主義の幻想」なのか、
簡単に肯定できそうもないように思います。
2008年07月25日 23:17
カタカナサヨク さん
弊害と幻想をその様に論じたい気分も分かる気はしますが、やはり資本主義と社会主義の弊害と幻想を論じるべきでしょう。
その時に議論の対象となる資本主義と社会主義をどのようなものとするかが実は問題だと思います。
ケインズ経済学による、もしくは高福祉を標榜する資本主義なのか、あるいは新自由主義か。
プロレタリアート一党独裁なのか、一部の党幹部の独裁なのか、自由経済導入の社会主義なのか。(ソ連型社会主義だけではない)
大きな問題ですね。

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