戦前の歴史解釈の一つの仮説

 戦前の政治状況というか、歴史の流れに納得し難いものがあり、引っかかっていた。
 何故2・26は起こったのか、軍人たちはなぜ政治に関わったのか、現地の軍人たちは何故暴走したのか、新聞はなぜ軍国的になったのか、軍縮に何故民衆が反対したのか、東条英機に何故多くの投書があったのか、一億総懺悔と言われて民衆は何故怒らなかったのか。
 これらのなぜに対する歴史書での回答は、軍人の野心であったり、統制であったり、教育などによる洗脳であったり、敗戦ショックであったり、今ひとつ納得がいくものではなかった。

 まだ解決したわけではないが、一つ思いついた。無論一つの仮説だ。

 中国をはじめ東洋の国は専制政治があり、西洋の近代化に遅れていたといわれている。皇帝などの支配により社会は停滞し資本主義の準備はまったく出来ていなかったと言われている。そしていち早く開国した日本はその例外であって、西洋近代文明を見事に移植した。江戸時代には資本主義の準備は十分出来ていたといわれている。その違いは何か。

 私はそれは地主制度ではないかと思う。日本の江戸時代は武士階級が支配していたが、土地を保有するのではなく年貢を取り立てることを行っていた。年貢では取られた以外は自分のものだ。力関係にもよるが、収穫量が上がればその分は自分の取り分が増えるのだ。武士の財政状況は末期になると逼迫してきており、力があれば年貢率を上げたはずだ。農民側の潜在能力は武士に対しかなりあったと考えても良いと思う。
 農村の中は平等な社会ではなく、庄屋級から水呑みまであった。しかし、多くの土地を所有し、わずかな賃金で小作を使い、余剰をすべて我が物にする大地主はいなかった。こんなものが出来れば武士は黙っていなかっただろう。

 しかしアジアのほかの国では、ほぼ例外なく大地主が存在したようだ。そして20世紀になってもそれが継続し、発展を阻害しているようだ。フィリピンが未だに混乱しているのはそのせいだ。日本が植民地にした台湾では大地主の解体もしたようだ。中国は共産革命によりそれの解体は既に行っている筈だ。
 
 日本では明治なってからも大地主制は少なかった筈なのだが、大正期から昭和への不況(恐慌)により、農村が困窮し、借金の担保となり、大地主の所有となって行った。格差が拡大していく過程だ。
 米騒動といえば富山県だ。そして富山県と言えば米どころだ。何故大都会ではなく農村に近い土地で米騒動が起こるのか。農村の困窮を示すものだろう。
 地主が発展していくと同様、財閥も同時に進展した。彼らは政界にも進出し、2大政党の元政権を担っていた。財閥と大地主による支配は東洋の停滞をもたらした形態とは根本的に違うものだ。発達した資本主義の下での体制だ。

 一方貧困家庭の優秀な子供の進む道として、軍人があった。奨学金ももらえるし、栄達の道もあるし、優秀な人材が、狭い視野の教育の下、多く育った事だろう。
 2・26の時に東北の「農村の困窮」と言うキーワードがあったと思うが、昭和維新と言うのは地主や財閥に圧迫されていた階層が軍人となって起こしたものではないかと言う気がしてくる。彼らを代表する政党人を倒すのは繋がっているのではないか。そして、それを知る軍内部が彼らに同情的だったのもそのせいではないのだろうか。

 長い不況、格差社会の進展に伴う富の偏在、富裕層への反感、そして出口を見出したい逼塞感、そういったものが国民に新天地への発展を夢見させたのでは思ってくる。
 国民は、財閥や大地主やそれを代表する政治家たちではなく、農村出身の軍人たちを支持していたのではないか。物資の統制により彼らの富を少しでも回してもらおうというのが本音ではなかったのか。大陸への進出が新たな富をもたらしてくれるものと期待したのではないか。

 軍人たちはそれをそのまま実行した部分と、自己の権力欲、征服欲、他民族蔑視によるものが有っただろう。もう一つ新興財閥が大陸にさかんに進出していたからそれにも影響されていた事だろう。
 侵略行為は国民の支持のうえでの暴走ととらえるべきなのではないだろうか。

 ここまでが仮説だ。少しすっきりしたような気がする。さらにこれを踏まえて現代の状況を考えてみよう。

 農村の産業が崩壊しているから大地主はいない。企業は財閥解体のお陰で誰かの持ち物ではなくなっているが、国民のために活動しているわけではない。政治は新自由主義を掲げ企業の利益を追求し、低所得者を保護しようともしない。
 それらのため、格差が広がってきている。低所得者に生活困窮が広がってきている。政治は2大政党制を指向し、低所得者の意向を反映しようともしない。
 逼塞感が蔓延し出口を求めている。その出口が過去の幻影を追う、歴史修正主義であったり、中韓蔑視であったり、軍事強化であったり、憲法改正であったりするのだろう。

 しかし戦前の大陸進出は具体的な利権もあり、成功すればそれなりの効果はあっただろう。(実際には新興財閥や一部の利益にとどまった筈だが)今の方向でどんな効果があるのだろうか。新自由主義の下で海外に企業が進出しても利益を得るのは企業のみだ。逆に貿易の自由化で外国人労働者を呼び、国民の給与水準がさらに下がる危険性もある。
 戦前は財界、大地主に結びつく政党人の活躍を抑えたが、いまは自民党他の政党人を支持している。代替策が無いからだろうが、彼らが今の社会を作って来た人たちではないかと思わないのだろうか。


 戦前の国民は危険な選択をして、国策を誤る原因を作ったが、現在の国民の選択はさらに合理的では無い様な気がする。

この記事へのコメント

2006年10月19日 21:16
こんにちは
戦前は国民の意思が政治に機能したとは思いませんが、2.26事件の頃まではわずかながら政党政治のなかで生きていたと思います。しかし戦時体制になって国民に選択の自由はなにひとつ与えられませんでした。
2006年10月20日 00:20
ましまさま
 今まで仰るように考えてきて、納得できなかったのでその仮説を書いてみたわけです。
 多くの国で改革の最終段階で市民が立ち上がりその顔が見えます。江戸時代末期の「ええじゃないか」の狂乱は何だったのだろうか、米騒動のエネルギーは何だったのか、そこには何かがあると感じたわけです。
無論昔よく言われた「民衆の歴史」であの時代が物語れるわけでもないし、民衆が直接政治に影響を及ぼしたわけではないでしょう。民衆の思いは権力者に裏切られる事が通例だから。
ビーンズ
2006年10月20日 20:34
江戸幕府が瓦解し、明治政府は軍備の近代化と政治の欧米化を図ったが
残念ながら「民主制度」の概念はなおざりにされ、戦後、来日した旧ソビエトの政治家も呆れたほどの「鉄壁の官僚主義」を取り入れてしまった。
戦前の行いを問われて戦後、外務省を解雇された
杉原千畝のことは言うまでもないか。
2006年10月21日 22:02
なかなか鋭いとこを突いていると思います。私も歴史が好きで、よく歴史研究をしたりしていますが、確かに日本は、ヨーロッパ各国と同じく、封建制度が確立しており、近代資本主義を受け入れる過程が出来ていたと思います。格差社会は、戦争への道を切り開く要因になると思います。江戸時代に長く平和が続いたのは、極端に富の集中がなかったからだとおもいます。日本は、科学技術が優れていて、平和な社会が、長所なんですから、このまま、平和を維持してほしいですね。
2006年10月22日 05:32
私も、歴史学も、社会学もきちんと学んだ事がないから正確なことは分らないが、歴史というものは、個々人の動きとは無関係な、時代の必然的な流れ、というものと、偶々、偶発的に、風が吹いた為に桶屋が金持ちになるような部分があると感じている。
自分の働いていた組織の中で、そうした流れの中で最大の功労者の名前が忘れられ、詰まらぬ奴が栄誉を受けるのを見たのが
http://yamak.at.webry.info/200603/article_1.html
の記事を書いた、一つの動機でした。
このエントリーの、特に後段には共感するご意見が多いです。
2006年10月22日 12:18
私は最近の学説などで「一般国民の戦争責任」を当時のメディアなどを証拠に云々する向きが多いことにいらだちを感じています。本音と建て前の使い分けができなければ生きていけない時代でした。
ただ、特高の反国策言動監視が強くなるにしたがって、それら(手柄)の報告が多く上にあがることにより、世論調査を代行(笑)、終戦に向かわせたということはあると思います。
2006年10月22日 21:35
皆さん コメント有難うございます。
ビーンズさん
官僚と言うのは民主主義の枠から少し外れた存在で、政治の僕、国民の僕の筈ですが、そうはなっていないですね。国民から見えにくいところが要注意なのでしょう。
長田ドーム さん
有難うございます。日本の長所、いいところを知るところから、始まるのでしょうね。
佐久間象川さん
その通りですね。歴史は大事ですね。
ましま さん
その苛立ちがこの文を書かせた原因です。
民衆は一様ではなく、本音で生きていた人と使い分けをしながら生きていた人がいたと思います。在郷軍人、組長、大陸浪人、共産党員、シンパ、そして普通の市民、様々な思いは明らかにされるべき歴史的課題だと思います。
世論調査の結果があっても一部の軍人は戦争を止めようとしなかったのも事実ですね。
2006年10月23日 10:21
掲示板の「人生」「我が日本文化」に書いております。
飯大蔵さんは戦前の歴史解釈の一つの仮説で持論を展開しています。
私の考えでは、日本人の根底は世界一の自由人だと言う事です。それは、現実を寛容的に受入れるという事にも通じます。
又、人の不幸を我が不幸のように感じる事でもあるどしょう。
ここらを踏まえないと、真の歴史は語れないと考えます。
制度やイベントだけ見ていては本質を見失います。
「何を教えるか」の本論で次に書くのは歴史認識です。お楽しみ下さい。
ビーンズ
2006年10月25日 18:07
この国に生まれ、その時代を生きて、その社会の空気に流された。それが
罪なら当時の日本人達は罪が有るといえるでしょう。けれど、報道管制の
中で生きていた多くの人たちと、ミスリードしたマスコミ、軍、及び国政
を担っていた人達の罪とは天と地ほどの差があって当然に思われます。
2006年10月26日 01:56
ビーンズ さん コメント有難うございます。
罪の大きさを言うのなら、直接判断し、実行できる立場にいた人の罪が大きいのは自明の事です。
「侵略行為は国民の支持のうえでの暴走ととらえるべきなのではないだろうか。」暴走と書いたのは、国民の意思を正しく反映していないこと示す為です。生活を良くして欲しいと思っても侵略しろとは言っていないと思います。(侵略せよと思った人もいただろうが)
 歴史的にもっと解明されるべき課題だと思います。

この記事へのトラックバック