地裁が泣いた 認知症母殺人公判 判決が出た
地裁が泣いた 認知症母殺人公判をエントリーしたのは4月20日だった。毎日新聞が大きい紙面を割いて報道する力の入れ方と事件の内容に感動した。それ以来数多くの人に見ていただき、コメント、トラックバックを頂きました。コメントに応答するたびに涙がにじむのには参りましたが。
最近は全国ネットのテレビでも何回も報道され、この事件を多くの人が知る事になった事は、非常にいいことだし、多くの人が関心を持つ事によってこのような悲劇が一つでも減る事につながるのだと思う。
今日2006年 7月21日 (金) 判決が出た。
予想通りの判決だった。記事の判決文から
「結果は重大だが、被害者(母親)は決して恨みを抱いておらず、被告が幸せな人生を歩んでいけることを望んでいると推察される」
「結果は重大だが、行政からの援助を受けられず、愛する母をあやめた被告人の苦しみや絶望感は言葉で言い尽くせない」
「福祉事務所を訪れたが相談に乗ってもらえず、生活保護を受けることはできず心身ともに疲労困憊(こんぱい)となった」と指摘。「他人に迷惑をかけてはいけないとの信念と姿勢を、かたくなであると非難するのは正しい見方とは思われない」
「相手方の承諾があろうとも、尊い命を奪う行為は強い非難を免れない」としながらも、「昼夜被害者を介護していた被告人の苦しみ、悩み、絶望感は言葉では言い尽くせない」
「尊い命を奪う行為」と置かれた状況を勘案した判決だ。多くの人が納得するだろう。
判決言い渡し後の説諭では
「朝と夕、母を思いだし、自分をあやめず、母のためにも幸せに生きてください」
人生はまだまだ長い。幸せに生きる事を母も望んでいるでしょう。
「日本の生活保護行政のあり方が問われているといっても過言ではなく、この事件を通じて何らかの変化があるかと思う」
生活保護行政、医療行政、介護行政が問われているのだろう。政府は裁判官の言葉など簡単に無視するだろうが、多くの人がこの事件を通じて行政はどう有るべきかを考え、何かの行動を起こしたときに何らかの変化が出ると思う。
最近は全国ネットのテレビでも何回も報道され、この事件を多くの人が知る事になった事は、非常にいいことだし、多くの人が関心を持つ事によってこのような悲劇が一つでも減る事につながるのだと思う。
今日2006年 7月21日 (金) 判決が出た。
認知症の母殺害に猶予判決 京都地裁 「介護の苦しみ」理解示す
2006年 7月21日 (金) 15:51産経
介護疲れと生活の困窮から今年2月、合意の上で認知症の母親=当時(86)=を殺害したとして、承諾殺人などの罪に問われた長男の無職、片桐康晴被告(54)=京都市伏見区=に対する判決公判が21日、京都地裁で開かれた。東尾龍一裁判官は「結果は重大だが、被害者(母親)は決して恨みを抱いておらず、被告が幸せな人生を歩んでいけることを望んでいると推察される」として懲役2年6月、執行猶予3年(求刑・懲役3年)を言い渡した。
判決によると、片桐被告は今年1月末、介護のために生活が困窮し心中を決意。2月1日早朝、伏見区の桂川河川敷で、合意を得た上で母親の首を絞めて殺害し、自分の首をナイフで切りつけ自殺を図った。
論告や供述によると、片桐被告の母親は父親の死後の平成7年8月ごろに認知症の症状が出始め、昨年4月ごろに症状が悪化。夜に起き出す昼夜逆転の生活が始まった。
同被告は休職し、介護と両立できる職を探したが見つからず、同年9月に退職。その後、失業保険で生活している際に、伏見区内の福祉事務所に生活保護について相談したが受給できないと誤解し、生活苦に追い込まれて心中を決意した。
殺害場所となった桂川河川敷では、家に帰りたがる母親に「ここで終わりやで」と心中をほのめかし、「おまえと一緒やで」と答えた母親の首を絞め、自らもナイフで首を切り自殺を図った。前日の1月31日には、母親を車いすに乗せ、京都市街の思い出の地を歩く“最後の親孝行”をしたという。
判決理由で東尾裁判官は「相手方の承諾があろうとも、尊い命を奪う行為は強い非難を免れない」としながらも、「昼夜被害者を介護していた被告人の苦しみ、悩み、絶望感は言葉では言い尽くせない」と、追いつめられた片桐被告の心理状態に理解を示した。
また、判決文を読み終えたあと、片桐被告に「朝と夕、母を思いだし、自分をあやめず、母のためにも幸せに生きてください」と語りかけた。同被告は声を震わせながら「ありがとうございます」と頭を下げた。
◇
【視点】介護支える社会整備を
認知症の母親を殺害した片桐康晴被告に、京都地裁は執行猶予付きの“温情判決”を下した。裁判をめぐっては、検察側も「哀切きわまる母への思い。同情の余地がある」と、最高刑懲役7年に対して求刑は懲役3年と、被告の情状面に理解を示していた。
公判では、冒頭陳述や被告人質問で母子の強いきずなが浮かび上がり、聞き入る東尾龍一裁判官が目を赤くする場面すらあった。
「生まれ変わっても、また母の子に生まれたい」と母親への強い愛情を吐露した片桐被告。公判では、介護のために仕事をやめざるを得なかった現実や、生活保護受給を相談した際に行政側の十分な説明がなく生じた誤解など、誰もがいつ陥ってもおかしくない介護をめぐる現実が浮き彫りになった。「人に迷惑をかけずに生きようと思った」という片桐被告の信条さえも“裏目”に出た。
介護をめぐり経済的、精神的に追いつめられ殺人や心中に至る事件は後を絶たない。160万~170万人ともいわれる認知症患者は、約10年後には250万人にまで増加するとの推計もある。反対に少子化のため介護者の減少は必至で、介護をめぐる問題は極めて現代的な課題といえる。
“母親思いの息子”が殺害を選んだ悲劇を繰り返さないために、法整備を含め、社会全体で介護を支える仕組みづくりが求められる。(京都総局 藤谷茂樹)
◇
【用語解説】承諾殺人
加害者が被害者の承諾や同意を受けて殺人に至った場合に適用。殺人罪の量刑が死刑から3年以上までの懲役であるのに対し、承諾殺人罪は6月以上7年以下の懲役または禁固刑となっている。心中を図り、心中実行者が生き残ったケースに適用されることが多い。
認知症の母殺害、被告に執行猶予つき判決 京都地裁
2006年07月21日11時05分朝日
京都市伏見区の河川敷で2月、同意を得て認知症の母(当時86)を絞殺したとして、承諾殺人などの罪に問われた無職片桐康晴被告(54)の判決公判が21日、京都地裁であった。東尾龍一裁判官は「結果は重大だが、行政からの援助を受けられず、愛する母をあやめた被告人の苦しみや絶望感は言葉で言い尽くせない」と述べて、懲役2年6カ月執行猶予3年(求刑懲役3年)を言い渡した。
判決で東尾裁判官は、片桐被告が献身的な介護を続けながら両立できる職を探していた経緯にふれた上で、「福祉事務所を訪れたが相談に乗ってもらえず、生活保護を受けることはできず心身ともに疲労困憊(こんぱい)となった」と指摘。「他人に迷惑をかけてはいけないとの信念と姿勢を、かたくなであると非難するのは正しい見方とは思われない」と述べた。
判決によると、片桐被告は2月1日朝、京都市伏見区の桂川河川敷の遊歩道で、車いすに乗った母の承諾を得て、首をしめて殺害した。片桐被告は直後に包丁で自分の首を切ったが、死にきれなかった。前日から最後の親孝行として、自分を育ててくれた場所に近い京都市内の繁華街を母親の車いすを押してゆっくり行ったり来たりした。
東尾裁判官は判決言い渡し後の説諭で、介護をめぐる心中事件が全国で相次いでいることにふれ、「日本の生活保護行政のあり方が問われているといっても過言ではなく、この事件を通じて何らかの変化があるかと思う」と述べた。
片桐被告の弁護人は「行政の対応にまで踏み込んだ珍しい判決。福祉事務所の対応の詳細はわからないが、少なくとも被告が『もうだめだ』と思ってしまった事実があるのは残念だ」と話した。判決を時折涙を流しながら聞いていた片桐被告は公判後、「温情ある判決で感謝しています」と話したという。
◇
片桐被告が相談に訪れていた、生活保護の窓口となる京都市伏見福祉事務所保護課の担当者は個別のことには答えられないとしたうえで、「最低でも30分以上は話を聴き、相応のアドバイスはしているはずだ。あくまで本人からの申請主義なので、要件が整った時に来てもらえないと、こちらから申請してくれとは言えず対応には限界がある」と話した。
予想通りの判決だった。記事の判決文から
「結果は重大だが、被害者(母親)は決して恨みを抱いておらず、被告が幸せな人生を歩んでいけることを望んでいると推察される」
「結果は重大だが、行政からの援助を受けられず、愛する母をあやめた被告人の苦しみや絶望感は言葉で言い尽くせない」
「福祉事務所を訪れたが相談に乗ってもらえず、生活保護を受けることはできず心身ともに疲労困憊(こんぱい)となった」と指摘。「他人に迷惑をかけてはいけないとの信念と姿勢を、かたくなであると非難するのは正しい見方とは思われない」
「相手方の承諾があろうとも、尊い命を奪う行為は強い非難を免れない」としながらも、「昼夜被害者を介護していた被告人の苦しみ、悩み、絶望感は言葉では言い尽くせない」
「尊い命を奪う行為」と置かれた状況を勘案した判決だ。多くの人が納得するだろう。
判決言い渡し後の説諭では
「朝と夕、母を思いだし、自分をあやめず、母のためにも幸せに生きてください」
人生はまだまだ長い。幸せに生きる事を母も望んでいるでしょう。
「日本の生活保護行政のあり方が問われているといっても過言ではなく、この事件を通じて何らかの変化があるかと思う」
生活保護行政、医療行政、介護行政が問われているのだろう。政府は裁判官の言葉など簡単に無視するだろうが、多くの人がこの事件を通じて行政はどう有るべきかを考え、何かの行動を起こしたときに何らかの変化が出ると思う。
この記事へのコメント
京都市伏見福祉事務所保護課・・・許せません!申請主義というならば、相談者が理解できるように説明すべきでは?失業保険の給付が終われば生活保護を受けられると、この息子に説明していたのでしょうか?絶対に説明してないですよね。説明していたのなら、生活保護の申請をしていたはずですよね。介護の実態を知らない人間が、こういう窓口の担当というのがそもそも間違っているのでは?こんなテキトーな仕事してる行政側の人間が温々と生活していて、もらえるはずのものをもらえずに困っている人がいると思うと、とても腹立たしいです。
京都市伏見福祉事務所保護課の担当者も困っているでしょうね。次から満足のいく様にしてくれたら良いのにね。
とも さん コメント有難うございます。
スウェーデンでは税金はすごく高いそうです。でも国に預けてあるだけで返ってくるから問題ないそうです。日本でもきちんと返して欲しいですね。
リンク&TBの快諾有り難うございます。
昨日日記を更新し、今朝みたらコメントが1件ありました。片桐さんと同じような立場で介護されてる方の悲痛な思いが綴られており、涙が止まりませんでした。
この事件は、特別なものじゃなくて、身近な誰の身にも起こりえるものだと思いました。ワタシにはコドモはいません。将来的に片桐さんもしくは、片桐さんのお母さんの立場にもなりえる自分や夫の事を思うと、人事ではない事件です。国の制度や役職の方を責めても、所詮大金を握る議員らにはこの痛みは他人事です。でも、この事件をきっかけに、国民一人一人の意識が変わって地域が生き返るといいなという希望は捨てたくはないと思いました。
そのコメント見ました。これからどんどん増える事を考えると、普通に対応し、普通に助け合え、行政も普通に援助できる形が必要だと思います。このようなネットが少しでも役に立てば良いですね。
なるほどと言う案ですね。サッチャーからブレアの転換もうまく行っているみたいですね。日本ではどうやるんですかね。ボランティア的な動きからやっていくのか、政策的動きからやっていくのか。この事件が一つのシンボルになれば良いですね。
決してお涙頂戴だけでは終わらせられない事件です。
判決が出たことで、一応の段落は出来ましたが、福祉事務所に求められる課題は永久に続きますね。
近所に姑が独り暮らしをしています。自らすすんでの独居。
しかし、ワタシが考える何十倍も、いかに歳をとっていくかの課題と闘っているそうです。
まだ安心して歳を重ねられない世の中、自分自身がしっかりしていなきゃ、というところなのでしょう。
行政の向上に期待するのは勿論ですが、
個人個人のレベルで気を引き締めて世間を見、いかに地道に生活していくか
困った人に手を差し伸べられる自分であるか
振り返るようにしたいと思います。
この事件は20日のワイドショーで知りました。
涙が止まりませんでした。
私なりに、この事件について少しでも多くの人に知ってもらいたいと思い、普段は全然違うことを書いてるブログですが、記事に載せました。
どうか、このような事件が少しでも少なくなっていきますように。
私にも何か出来ることはないのか、すごく考えさせられました。
この事件を新聞で知ったとき、涙が止まらなかった
ココの記事を読んだときも涙が止まらなかった
殺人は許せないし絶対にいけないことだと思う
だけど、この事件でもそれが言えるだろうか??
そう考えたときにわたしは「うん」とうなずくことは出来ません
許せる、許せないの問題ではないと思いました
こんなに母親思いの人にこども思いの母親を殺させてしまうような日本の社会は本当に腐ってると思った
このことは友達(中3です)にも知ってもらいたい
行政だけに原因は持っていけないし、我々だけでも防げないし、老い行く人の自覚も大事ですね。必要な時に必要な事が出来るように私も含めて考えて行きたいです。
片桐さんのその後は私も情報はないです。近在の方でご存知でしたら是非教えて欲しいです。
でも彼に限らず苦労している人は各所におられると思います。その方たちを気にするほうが大事ですね。ここにコメントしていただいた多くの方がそのように考えておられます。美しい国とは国民も国もこのように考える国のことなのでしょう。
記事にはしていませんが、同じような事件はいくつも報道されています。世の中は何にも変わっていないのでしょう。
仰るような国にしたいと私も思っていますが、どうすればそのようになるのか、このブログを書きながら考えています。
今でも気持ち玉をいただく記事です。読まれ続けることは嬉しくもあり、状況が変わっていない事も示していて悲しいことでもあります。残念です。